大竹しのぶさんといえば、多くのドラマや映画に出演し活躍している演技派女優です。
プライベートでは明石家さんまさんと結婚していたことで有名ですが、実はこの結婚は大竹しのぶさんにとって2度目の結婚であったことはご存知でしょうか。
今回は、大竹しのぶさんの離婚歴などプライベートについてご紹介します。
大竹しのぶは元夫・服部晴治と死別していた!

名前:大竹 しのぶ(おおたけ しのぶ)
生年月日:1957年7月17日
出身地:東京都
身長:158cm
大竹しのぶさんは、1973年高校1年生の時に、テレビドラマ「ボクは女学生」のオーディションに合格したことから芸能デビュー。
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当時、フォーリーブスの北公次さんのファンで共演してみたいという思いから応募したそうで、女優を目指していたわけではなかったようです。
しかし、その後も女優として活動を続け、2年後の1975年には「青春の門」という映画に出演したことで注目を浴びます。

さらに、同年のNHK連続テレビ小説「水色の時」ではヒロインに抜擢。

その後も数々の映画やドラマ、舞台に出演してきた大竹しのぶさん。
1978年には映画「事件」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。

同時期に歌手デビューをしてヒット曲を生み出したり、写真集を発売して大胆な姿を披露するなど、女優業以外にも活躍を広げています。
「ジヌ(銭)よさらば」監督•脚本•出演の松尾スズキ。大竹しのぶの新しいCD「歌心 恋心 」に歌手として参加! pic.twitter.com/xdb0CyrTqG
— 坂本雅司 (@griot_sakamoto) December 14, 2014
そして、2011年秋の褒章では紫綬褒章を受章し、日本を代表する演技派女優になりました。
デビュー当時から現在まで活躍し続けている大竹しのぶさんですが、私生活では1982年に1度目の結婚をしています。
結婚相手は、服部晴治さんという男性でした。

名前:服部 晴治(はっとり せいじ)
生年月日:1940年 ※月日不明
出身地:不明
服部晴治さんは大竹しのぶさんの17歳年上で、2人の間には子供・二千翔(にちか)さんも誕生しています。

大竹しのぶさんはママになっても女優業を続け、益々活躍していました。
そんな幸せな毎日が続くかと思われましたが、結婚生活は5年ほどの短い期間で幕を閉じることになったのです。
理由は、服部晴治さんが末期癌により死別してしまったためでした。
大竹しのぶと元夫・服部晴治の馴れ初めは?
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悲しい別れになってしまった服部晴治さんですが、一体どんな方だったのでしょうか。
服部晴治さんは、TBSの敏腕プロデューサーとして活躍している男性でした。
2人は1980年放送ドラマ「恋人たち」の出演者とプロデューサーとして出会い、交際へと発展。

服部晴治さんはとてもモテる人で、大竹しのぶさんと出会ったときには既にバツ2で3人の子を持つパパだったようです。
- 1度目:英語教師の女性、子供2人
- 2度目:宝石デザイナーの女性、子供1人
さらに、大竹しのぶさんと交際時にも、同棲している恋人がいたプレイボーイっぷり。
その恋人は、歌手の中村晃子さんでした。

中村晃子さんは、大竹しのぶさんにとっては9歳上であり、芸能界の先輩でもありました。
中村晃子さんは服部晴治さんの様子がおかしいと感じ、浮気現場を目撃してしまいます。
中村さんは服部さんの行動を不信に感じ、仕事終わりの服部さんの車を尾行したそうです。
すると、服部さんの車の助手席には大竹しのぶさんの姿が!
なんと2人は、信号待ちの間に何度も熱いキスを交わしていたというのです。
結婚寸前だった恋人を略奪された中村晃子さんは、大竹しのぶさんに激怒。
大竹しのぶさんは、世間からも略奪愛としてバッシングを受けました。
それでも大竹しのぶさんと服部晴治さんは、結婚することを決めたのです。
1982年に結婚、1985年には第一子である二千翔さんを出産し、幸せの真っ只中にいると思われた大竹しのぶさん。

しかし結婚して間もなく、服部晴治さんが末期の胃がんを患っていることが判明していました。
服部晴治さんとの結婚生活は、1987年に死別という辛い形で終わりを迎えてしまいます。
- 1982年 服部晴治と大竹しのぶが結婚
- ?年 服部晴治が末期の胃がんで余命1年と宣告
- 1985年 第一子・二千翔誕生
- 1987年 服部晴治死去(享年47歳)
医師から「余命1年」と宣告された大竹しのぶさんでしたが、本人には告げることなく服部晴治さんが亡くなる時まで寄り添い続けました。
余命宣告を受けた上で、彼の子供を産む決断をすることは容易ではなかったでしょう。
育児と女優業を両立しながら、闘病生活を支えた大竹しのぶさん。

映像の中で見せるおっとりした可愛らしい雰囲気とは違い、実際には芯が強くたくましい女性であることがわかります。
大竹しのぶが事実婚の野田秀樹と破局した理由は?
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服部晴治さんと死別後、辛く眠れない日々を送っていた大竹しのぶさんを支えてくれたのが、2度目の結婚相手の明石家さんまさんでした。

実は、さんまさんは服部晴治さんと友人で、亡くなる前には服部晴治さんから
しのぶを頼む
と言われていたんだとか。
服部さんから「しのぶをよろしくお願いしますよ」と言われていたことも告白。さんまは、その言葉を重く受け止めたようで、「友達として共演者として(という意味)を俺は勝手に…。『しのぶを頼むよ』というのを、まともに受けてしまったのかも分からへんな。だから(大竹とは)そういう結婚だったので逆にアカンかったかも分からないな」と語った。
引用:スポニチ
1988年に明石家さんまさんと再婚し、翌年にはIMARUさんが誕生しました。

明石家さんまさんと二千翔さんは血縁関係はなかったものの、とても良好な関係だったそうです。
しかし、1992年に離婚が発表されました。
家庭に入ることを望んだ明石家さんまさんと、女優を続けたかった大竹しのぶさんの価値観のズレが離婚要因の一つでした。
1992年9月9日、明石家さんまと大竹しのぶ夫妻が河田町のフジテレビにて其々午後1時、同2時半から記者会見し、離婚を発表。88年9月結婚。しのぶに2人の子供が手のかかる間だけでも育児に専念して欲しいさんまが、女優業を再開し多忙になったしのぶに不満。1年前頃、さんまが離婚を切り出す。日刊92.9.10 pic.twitter.com/Md4kNH4Vfs
— 振り逃げ満塁ホームラン (@furinige2013) September 9, 2020
2度目の結婚が終わり、大竹しのぶさんは野田秀樹さんと交際を開始します。

名前:野田 秀樹(のだ ひでき)
生年月日:1955年12月20日
出身地:長崎県
野田秀樹さんは日本を代表する劇作家、演出家の男性です。
東京大学在学中の1976年に「夢の遊眠社」という劇団を立ち上げました。
演劇人気の火付け役となり、のちに有名になる俳優も多く輩出。
劇団解散後の現在も、幅広く活躍しています。
2人は1992年に野田秀樹さん演出の舞台「真夏の夜の夢」で共演したことがきっかけで、交際に至ります。
その後大竹しのぶさんと野田秀樹さんは同棲を開始し、事実婚として5年間共に生活していました。
入籍をしていなかったこともあり、子供は誕生していません。
しかし、大竹しのぶさんの子供たちとは、親子のような関係性を築いていたようです。

最近でも、IMARUさんが出演した番組に野田秀樹さんがVTRメッセージを送るなど、交流は続いています。
大竹しのぶさんと野田秀樹さんの破局理由は、明かされていません。
既に2度の結婚により、父親が違う子供を2人出産していた大竹しのぶさん。
野田秀樹さんと再婚したら、父親が違う子供が更に増えるかもしれない。
そのことが大竹しのぶさんの母には受け入れられず、結婚を反対されていたそうです。
倫理的な面から、結婚を諦めて別々の道を選んだのではないでしょうか。
破局後も仕事をともにしたり、食事に行ったりと良好な関係は継続しているようです。
大竹しのぶの離婚歴・元夫まとめ
作品ごとにあらゆる顔を見せてくれる大竹しのぶさん。
掴めそうで掴めず、見る人を飽きさせることのない魅力は、さまざまな人生経験により深まっているのかもしれません。
恋多き女として話題になることも多い大竹しのぶさんですが、その生き方は女優として輝き続けている秘訣の一つなのでしょう。
今後も幅広く活躍されることを期待しています。
最後までお読みいただきありがとうございました。